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皆様へ

 先月末に当院の副院長 森政樹先生が逝去されました。私にとって心から信頼できる医師であり、後輩でした。自治医大の2年後輩であり、同じ軟式テニス部で苦楽を共にしました。卒業後は出身の鳥取県で9年間の義務年限を果たし、その後母校の血液内科に私のあとを追うように大学院に入学しました。私の大学院卒業と同時に入学したものであり、同じ研究室で同じようなテーマで大学院生活4年間を送りました。私をはるかに上回る研究成果を出して、『BLOOD』という血液内科の最高峰の雑誌に博士論文を掲載しました。院卒業後はアメリカ留学も果たし、帰国後は輸血部に所属して自治医大の骨髄移植のリーダーとして母校の為に尽くしてきてくれました。私が赴任した日光市民病院や菅間記念病院にも毎週手伝いに来てくれました。当院開院後も翌年の4月から毎週水曜日に1日外来そして月1回の当直もしてくれました。私の願いを受け入れ、昨年4月に当院の副院長に就任してくれました。共に、地域医療を盛り上げようと、将来を語りあっていたのに、今年の1月に体調を崩されました。しかし、2月には復帰して、何事もなかったかのように診療に従事してくれました。10月末に療養に入りましたが、11月25日に帰らぬ人となりました。
 黒縁の眼鏡の奥で優しく微笑む姿がとても印象的な森先生ですが、髪の毛は、昔はふさふさでした。学生時代には、「想い出がいっぱい」を私のギターで歌ってくれました。毎年軽井沢でテニスをして旧軽井沢銀座で飲み歩いたこと。遠征で東京にでると、新宿歌舞伎町で飲んだこと。やせ型で体型が変わらないらしく、「学生時代のズボンがまだ穿けるんですよ」と自慢していた姿。本当に日本酒が大好きで、いきつけの寿司店で「うまいなあ、この空き瓶もらっていいですか」と日本酒を集めていたこと。森先生に意見を求めると、理路整然と意見を述べてくれたこと。決して怒らない先生、と職員全員から慕われていたこと。「子供は男5人ですから、大変ですよ」と話す姿。デイパックを背負って朝7時半には来院して、挽きたてのコーヒーを飲んでにこりと笑う姿。森先生との思い出は尽きません。
患者様をはじめ、当院に関係する皆様にご報告が遅れたことをお詫びいたします。片腕の無くなった私ですが、精一杯診療に勤しみますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

冨塚メディカルクリニック 院長 冨塚 浩